つぶやき...
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2004年11月1日(月) 新潟県中越地震_6
夜の間にも絶え間無く続く余震、3階だと揺れは当社比2ランクアップだ。震度4でもかなり激しい揺れに感じる。揺れるたびに全身の毛穴が開くような緊張感に襲われる。僅かな揺れでも、それが最初のP波で、直後に巨大なS波が来るかもしれないのだ。P波からS波に移るあの感覚、震度5を超える地震を短期間に非常に多く経験してしまったわけで、体が覚えてしまった感覚と脳が覚えてしまった恐怖感は中々消えない。
ウチの地区では夜の間に電力が復旧する可能性が有った為、通電火災を警戒し、いつでも逃げられる服装で寝ていた。ウチはブレーカを落としてあるが、マンションの他の部屋から通電火災が発生しないとは言えない。 余震と通電火災を警戒し、緊張感に包れ、浅い眠りのまま朝を迎える。ひょっとしたらクルマの中で寝た方が良かったのカモしれない(笑)。 今朝も夜明けと共にヘリの音と緊急車両の音が街を包む。
ブレーカをONにしてみると電力が復旧してるではないか! さっそくTVを見る。どの局もすべて地震のニュースだ。被災地や避難所の状況を流している。 昨日までは受信状態の悪い車載TVの小さな画面でしか見てなかったわけだが、大きくてハッキリした画面で改めて激しい被害状況を見る。
ウチの在庫食品で朝食を済ませ、昼飯用にカップラーメンとお茶を持って会社に行く。途中でセブンイレブンに寄ってみると、弁当はもちろん、カップラーメンは1個も無く、ソーセージの1本まで売り切れだ。飲み物もほとんど無い状態で、真っ白なコンビニの棚を初めて目にする。営業はしているが、売る物が無い状態。私は缶コーヒー1本を買い、店員に「弁当類の入荷の予定は?」と尋ねてみる。 「入荷予定はまったく解らない」 との答えだった。飲食店などももちろん休業なわけで、どうやら持ってきたカップラーメンが今日の昼食になりそうだ。
会社では地震の後片付けや、取引先との連絡や調整、通常業務はなかなか進まない。ま、それは仕方あるまい。昼メシは同僚と一緒にローソンに行ってみたが、食い物はまったく無い。唯一、「赤いきつね」だけが有った。念の為にこの赤いきつねを買い、ハンバーガー屋に行ってみる。商品は限られているが営業していた。揚げたてのポテトが美味い。
昼飯に限らず、夜になってもとにかく食料が手に入らない。コンビニの棚は真っ白、スーパーでも生鮮食料は皆無、カップラーメンは1個も売ってなかった。袋ラーメンが僅かに残っていたので念の為にソレを買っておく。ま、ウチには米も有るし大野商店のししゃも有る。食料が手に入らなくても何とかなるのだが、手に入らないとなると手に入るものを買っておきたくなるってモンだ。必要無くても袋ラーメンなどを買ってしまうわけである。
結局、食料が普通にコンビニで手に入るようになったのは火曜日の昼頃からだ。ちなみに火曜日の朝のコンビニでは缶コーヒーすら手に入らなかった。 そして火曜の夜にはスーパーでも食料が手に入るようになっていた。震災から3日経っていた。
2004年11月2日(火) 新潟県中部地震_7
地震から今日で10日目だ。ここ長岡の街は各所に傷跡は残るものの、徐々に正常に戻りつつある。飲食店も営業を再開し始めた。コンビニには商品が並び、スーパーで肉も魚も野菜も手に入る。一部営業を再開できない店舗が有るのはもちろんだし、ここ長岡市内の中心部でも避難生活を続けるヒトは多いわけで、「正常」と言ってはいけないのかもしれない。しかし、欲しい物や必要なモノが普通に手に入るようになったのは確かだ。ある程度普通に戻った今、レポートしてきたこの地震を振り返ってみたい。
まず、持ってて役に立ったモノ。
・LEDライトとバッテリ(単三アルカリ及びNi-MH)
・水20Lと水タンク3個
・ガソリンストーブやカセットコンロ
見れば解ると思うが、電気ガス水道の代わりになるモノだ。
まず、S波着弾と同時に停電となり、暗闇の中で家具や照明器具が落下し、ガラスが部屋中に飛び散った。街中が停電なので、本当に真っ暗になる。照明無しでは歩くことも動くことも出来ない。ウチでは枕元に常にLEDライトを置いてあった。これは活躍。他にもキーホルダに付けてある小型LEDライト、クルマに積んであるLEDライト、それぞれのスペアバッテリ。これは本当に役に立った。非常時にどこに有るか解らないと意味が無いし、倒れた家具の下敷きで探し出せ無くても意味が無い。 家具は倒れる、モノは落下する、散らかる、重なる、と思っておいた方が良い。 非常用のライトは出来れば各部屋の柱などに固定して置くと良いかと思う。アルカリ電池は2年くらいで液漏れするので、マンガン電池やリチウム電池を入れて常備して置くと良いのではないか。また、コンビニやスーパーなどで電池はたちまち売り切れて手に入らなくなった。十分な量の電池を常に用意しておきたい。
水はペットボトルの保存水でも良いが、それとは別に20Lタンクでも用意しておくと安心だ。私の経験だと密閉したタンクに入れた「水道水」は1年経っても特に変質しない。給水車はなかなか来ないし、例え給水車が来たとしてもタンクが無ければ水をもらう事も出来ない。ウチには60L分のタンクが有ったわけだが、タンクを買いたくてもホームセンタが休業で手に入らなかったハズだ。
コンロの類はキャンプ用の高性能品でなくても普通のカセットコンロでも十分だ。だが、カセットガスはあっという間に売り切れてしまい、自由に手に入るようになるまで3〜4日ほどかかった。十分な量のスペアガスを用意しておかなければ役に立たない。
他にも、シュラフ、ランタン、ガソリンストーブ、などの各種アウトドア用品は最強のサバイバル用品として活躍してくれたが、これらは無くても何とかなる。ランタンはLEDライトでOKだし、シュラフは無くても毛布でも何とかなる。 だがアウトドア用品は持っていて損は無い。
食料も手に入らない。配給が来るようになるまで2日かかった。コンビニで買えるようになるまで3日かかった。最初の3日だ。最初の3日を自力で乗り切れるだけの食料を用意しておくと安心だ。道路は寸断され、外部からの支援物資は届かず、外部から災害対策本部に届いても各避難所に届くまで時間がかかる。ましてや私のように個人で避難している場合は配給も受けられないのだ。
震度6クラスを二階以上の高層階で喰らうと、家具は転倒防止を施してあっても転倒する。例え転倒を免れたとしても全てのモノは落下すると思った方が良い。今、読者の皆さんの自分の部屋やリビングを見回してほしい。家具が転倒する時にどこへどう倒れるか、寝込みを襲われる位置に家具は無いか? 倒れた家具が部屋の出入り口を塞がないか? 割れたガラスが避難経路に散らばらないか? ちょっとシュミレーションしてみてほしい。 今回の地震で、トイレのドアに倒れた家具がつっかえ棒のようになってしまったヒトがいる。万が一、トイレに入っていたら脱出不可能な状態だったそうである。家具の転倒防止策はもちろんだが、それでも倒れてしまう最悪の状況を考え、例え倒れても被害を最小限に食い止める位置に配置するよう考え直してみては如何だろうか?
携帯電話は瞬間的に使えなくなった。1発目の震度6がまだ揺れている最中に電話したら繋がったのだが、30秒後にはすでに輻輳で使えなかった。固定電話はある程度使えたが、ほぼ機能しなかった。Air-H"は停電地区ではCSの電源が落ちてるので使えない。通信手段はすべて機能しなかった。車載TVと車載ラジオが唯一の情報源だった。地元FM局(FMながおか)の情報はかなり役に立った。
ガソリンスタンドも停電や被害でほとんどが休業になった。燃料は手に入らない。通常なら何時でもどこでも手に入るモノが何一つ手に入らなくなる。欲しい物や必要な物が何一つ手に入らないのだ。食料も水も電池もガソリンも、何一つ手に入らない。災害が発生してから必要なものを買おうと思っても無理だ。災害時に必要になるであろうモノは予め用意しておかなければならないのだ。
住宅の被害を表す良い例が↑コレだ。長岡の市街地でウチのすぐ近くだ。古い木造家屋が倒壊し、新しい建物は特に問題無く、新しい建物でも瓦屋根だと瓦が吹っ飛ぶ。瓦屋根の被害は相当数に及ぶ。瓦はバラバラに崩れて落下する。瓦屋根の建物は危険だ。頭が重いので倒壊の危険も増すし、揺れている間に建物から外に出ると落下してくる瓦がヒトを直撃する可能性も有る。 今後新築するなら瓦屋根は避ける事をお勧めする。 ここ長岡では例え古い建物でも耐雪仕様になっているわけで、無雪地帯よりは建物の構造は頑丈なハズなのだが、倒壊家屋や半壊家屋は数多く発生した。これが同じ震度で雪が降らない地区だったらもっと倒壊家屋は増えたのではないだろうか? 或いは積雪時で屋根が重かったら倒壊家屋は想像を絶する数になったのではないか?
道路や家屋の被害を見ると、どうやら揺れの強さは震源からの距離が近いほど強いわけではないようだ。震源に近くても被害が無い地区、震源から遠くても被害が激しい地区、いろいろだ。やはり揺れの強さは震源からの距離ではなく、地盤が弱いか強いかで決まるような気がする。 しかし、自分が住む地区の地盤の強弱など解る筈も無く、どうする事も出来ないのだが...。
今回の地震で私がそれほど困らなかったのは十分な備えが有ったからである。ガレージでも「地震は来るもの」と考えてワイヤリングなどの対策をしてあったから被害が出なかったのだ。 私の経験を出来るだけ克明に書いた今回のレポート、ニュースで報道されていた内容、それぞれをじっくり考え、「地震は来る」と考えて皆さんが対策される事を願います。 地震は来る、家具は倒れる、ガラスは割れる、何一つ手に入らなくなる、ライフラインはすべて止まる、最悪の方向を想定してみてください。 常識は通用しなくなります。
私の経験が今後の皆さんの参考になれば幸いです。
2004年11月3日(水) 新潟県中越地震_8
昨日書き忘れたのだが、家具の中で最初に転倒すると思われるのがTVだ。ウチでも空中回転して落下した。長岡市では震災ゴミの無料回収をやってるのだが、ゴミ捨て場にはTVが大量に捨ててある。ブラウン管式のTVは重心が前寄りで転倒しやすい。小さな子供がいる家庭などでは子供が下敷きになる恐れも有る。TVの固定や転倒防止を考えたほうが良いのではなかろうか?
ちなみにウチのTVは25inのCRT方式なのだが、見事なまでに落下した。で、壊れたかと思ったら震災前より調子が良くなった(笑)。震災前はノイズが入ったり入らなかったりで安定しなかったのだが、震災後は快調そのもの! これは嬉しい誤算。
が、TVの代わりに犠牲になって廃車になったのがGC8インプレッサだ。
TVの下敷きになり、左フロントホイールが潰れ、ロールバーも効果無くルーフが潰れてチョップトップになってしまった。今回の震災で壊れたモノの中でコイツが廃車になったのが一番悲しい(ioi)
もう一台、TVの下敷きになったのがGD8インプレッサ↓
こいつはルーフベンチレータにキズが付いたのと、アンテナが1本折れただけで済んだ。
廃車になったGC8は震災記念に取っておきます。しくしく。
2004年11月6日(土) 余震
むー...今日は余震活動が激しいなぁ。ゆっくり寝てられない。
長岡の地震計っておかしい。発表されている震度はどう考えても1〜2ランクほど低いような気がしてならない。かなり激しく揺れて「震度4」かな?と感じた余震で「震度1」と発表されたりする。ありえなーーい。
長岡の地震計って市役所に有るらしいんだけど、市役所周辺って地盤が強力で揺れが少ないのではないか? 実際、市役所周辺では道路の変形やマンホール垂直発射とか家屋の被害も無い。11月4日の朝のヤツなんかどう考えても震度5だっ!(発表は長岡=震度4)。
ちなみに連日の余震で被害は拡大してる。修理した道路も再び陥没したり亀裂が入ったり。修理してない道路は徐々に激しさを増している。タイヤバースト事件が多発。2本以上のバーストで放置車両も見られる。
紅葉が始まってるんだけど紅葉見物どころじゃないなぁ。山古志村の林道も紅葉も今年は楽しめないね。
2004年11月6日(土) 長岡の震度計
絶対におかしいっ! 絶対に壊れてるっ! >長岡の震度計
今日は毛穴が開くような大き目の余震がすでに5回発生している。昼間の3時頃のヤツは私も同僚も建物の外にダッシュするような大きな余震だった。なのに発表された長岡の震度は「2」だ。ありえなーーーーーい。
ついさっきの22時05分の余震もドキっとするくらい大きかったのに、長岡は「震度2」だそうで...。
しかし、ホントに疲れてきたなぁ。そろそろ終わってくれよ>余震
2004年11月8日(月) 着陸
震災前から離陸したまま放置プレイになっているロドスタを着陸させたい。震度5以上の余震を離陸したままかなり食らっている。着陸させて壁からちょっと離してより安全な位置に停車させたい。 そう思っていながら、ソレどころではなかったわけで、震災から2週間が過ぎた今、やっとロドスタに手を付けられるくらいの心の余裕が出来たって感じ。
銀プレッサバンでガレージに向かう。その前にホームセンタに寄ろう。と、その時、信号待ちで停止していた銀プレッサバンが激しく揺れたっ! これは大きいっ! 電柱が揺れ、看板が動き、街中の鳥が一斉に飛び立ち、空が鳥でいっぱいになる。 信号は青になっているが、揺れが激しく発進するのをためらう。 揺れが収まり、様子を見ながらそろそろと発進する。信濃川を渡る大手大橋の上、見た事もないほどの量の鳥が空いっぱいに飛んでいる。
ホームセンタの駐車場でTVを見る。震源付近は震度5強で長岡は震度4と発表されている(と言う事は長岡の震度は5か?)。栃尾で壁が崩落してケガ人、守門で土砂崩れで生き埋め、などの被害情報が流れている(その後救出され無事)。
一通り情報を確認してホームセンタの店内に入る。店員が先ほどの地震で崩れた商品を直している。 私はLEDライト売り場で商品を見ていたら、再び地震がっ!
がっしゃん がっしゃん がっしゃん
建物の中にいると音が激しいのでマジで怖い。今にも建物が崩れんじゃないかとの恐怖感が有る。多くの客が出口に向かって走る。私はすぐに上を確認し、蛍光灯などの照明器具が落下して来る事に備える。落ちてきたら避けてやろうと身構える。 しかし、先ほどの1発目よりは小さいようで、短時間で収まった。
揺れが「大きい」とか「小さい」ってのは結果論で、揺れ始めた瞬間、ソレが小さな揺れで終わるのか、大きな揺れの前の初期微動なのか、まったく解らない。例え小さな揺れでもいちいち身構えてしまう。
その後も小さな余震が続く。ガレージでは小さなモノが転んだり落下したり、タンスの引出しが飛び出したりしているが、問題になるような被害は無い。 ガレージでメシを食いながらTVを見て情報を確認する。このまま帰るべきか、ロドスタを着陸させるべきか、考える。 クルマの下に潜るような事は避けるとして、なんとか着陸させる事に決定。
KONI-ASAを外し、KONI-GPと6K-5.5Kのバネに交換する。車高を高めに設定し、タイヤも14inラジアルに交換する。ブレーキもサーキット仕様のパッドを外してストリート仕様のパッドに交換する。これでストリート仕様が完成した。
完成したら乗ってみたくなるのは当然。フタを開けて試運転するのだ。久しぶりのKONI-GP、車高を高目にしただけあってとても良い動きをしてくれる。適度な締まりとしなやかさ。震災でデコボコになった路面もしなやかにストロークして走破してくれる。あぁ、気持ち良い。
ふらりと寄った神社の駐車場。誰もいないガラガラの駐車場。崩れた石灯籠が震災の跡を感じさせる。
ヤマダ電機の駐車場。フタを開けたまま駐車場に停めるのが好きだ。普段はロドスタで買い物なんか行かないのだが、今日はロドスタに乗りたかったのだからまぁ良いではないか。
買い物を済ませ、意味も無く街中を走り回って足回りの感触を確かめ、ブレーキに焼きを入れたりする。そしてロドスタをガレージに収める。出来るだけ壁から離し、被害が出にくい位置に停める。
マンションに帰ったら、鏡が落下して破損、アンメルツヨコヨコが落下、などの軽微な被害が出ていた。ちなみに鏡が壊れたのはこれで2個目だ。
とりあえず、震災発生時からずーっと気になってたロドスタをやっと着陸させることが出来て、心配事が一つ減ったって感じかな?
2004年11月10日(水) 音
おはようございます。寝不足の丸山です(笑)
連日夜中に余震が来て眠りを邪魔される。ウチのマンションの窓サッシは、上部の一部だけが開く小さな換気窓が付いている。このガラスにガタが有って、小さな余震でいちいちカタカタカタカタとガラスの音が響く。この音が体感震度を大幅に高めている様な気がする。震度1でも煩いもんな。
そこで、サントリー冬生の箱を切ってガラスの隙間のあちこちに挟み、徹底的にガタを減らした。これでガラスの音が減って小さな余震なら快適に寝過ごすことが可能になるハズだっ!
と、思って眠りついたのだが、今朝3時台、最大で震度5弱の余震が発生。長岡発表は震度4。これはいくらなんでも目が覚めるわけで、その後も小さな余震が朝までに数回。小さな地震ならガラスの音が出ない分だけ快適になったのだが、他の建具は音を出すわけだし、オレが揺れるんだからやっぱし寝てられねー(笑)。
あー、眠い。
2004年11月10日(水) 眠い...
朝、出勤して同僚と顔を会わせる。みんな眠そうなだるい顔をしていた。私だけではないようだ。夜中に強めの余震が有ったのは今朝が初めてではないのだが、今までに無くみんなが疲れていた。蓄積された疲労が一気に出たのだろうか? 会うヒトみんなが口々に疲労と眠気を主張していた。
今日はさっさと寝よう。
2004年11月11日(木) EOS-10D
私が使っているデジカメはCanon EOS-10Dだ。買ってから丁度1年が経つ。ファインダやフォーカシングスクリーンのゴミが目立つようになってきた。CMOSにゴミは付いてないみたいなんだけど、フォーカシングスクリーンのゴミが目立つ。
ブロアで掃除してみたけど取れない。エアガンで掃除してみたけど取れない。どうしても気になる。8.5Kg/cm2のエアを全開で掃除したらフォーカシングスクリーンにキズが付いた...(ioi) フォーカシングスクリーンを外してレンズクリーニングキットで掃除してみたらゴミは綺麗になったのだが、高圧エアでやってしまったキズは取れない。あうあう。
保障期間が切れる前にキヤノンサービスセンタに持ち込んでお掃除してもらう事にする。CMOS、フォーカシングスクリーン、ミラーボックス内、ファインダ内、など各部のゴミ取りと点検を依頼した。すべて無償でやってくれるとの事。フォーカシングスクリーンのキズは取れないなら有償でも構わないから交換してくれとと依頼した。フォーカシングスクリーンの部品代なんかいくらでもないだろう。
今思えば、自分で高圧エアでキズ付ける前に素直にサービスセンタ送りにすれば良かったなと(笑)。
2004年11月12日(金) 記憶
震災前の記憶が薄れているような気がする。いや、全体的にはもちろん覚えてるんだけど、細かい事を忘れているような...(^^; やらなきゃならなかった事、返信しなければならないメール、やりとりを続けていた事、いろいろなモノが震災を境にブッ飛んだような気が...。
震災前と後であまりにも生活が変わってしまった。日常から非日常へ。それまでやってた普通の事を忘れているような...。
ナニか私が忘れている事がありましたら催促してください(^^;
あ、今思い出したっ、筑波1000走行会の写真と上越国際スキー場ジムカーナの写真、筑波決戦が終わったらCD-Rに焼いて配布しようと思ってたんだっけ! (^^;;;;;
2004年11月13日(土) 300万
トップページのアクセスカウンタが300万を超えそうですね。最近はここに直接来てるヒトが多いのか、意外とトップページのカウンタは伸びてないのかも?
2004年11月15日(月) 300万突破
11月13日午後あたりでしょうか? 300万件達成したみたいですね。ありがとうございます。
たしかこのサイトの開設が97年8月15日過ぎだったと思うので、7年で300万ですね。2000年2月24日が30万突破で、この頃が1200/日くらいでした。今はアクセス解析してないので良く解りませんが、3000/日くらいでしょうか?
去年1年はつぶやきの更新が少なかったんでアクセスは落ちてたのかな? つぶやきをCGIで気軽に書けるようになって更新回数が増えたんでアクセスは増えたか? ここをCGI(掲示板に書き込むようにして更新するヤツです)で書くようになったわけだが、実は画像は普通にFTPでアップして手打ちタグでリンクしたりする(笑)。 ナニが便利かって言うと、過去ログが自動生成されるので、過去ログを作ったり移動したりって言う手間が無くなった事。これはとっても嬉しい。以前、過去ログを作製してて不注意でブッ飛ばしてしまった事が有る。飛ばしてしまったのは、当時好評だったタイ旅行記連載の頃。このログはもう存在しない。残念。
そんな事故の心配無く過去ログ自動生成なありがたいCGI、最大の欠点は一生懸命コレを書いてる時にブラウザやネットワークが落ちると、せっかく書いた文章がすべて落ちる事。書いてる途中でCtrl+Sを使いたくなるわけだが、途中で保存するには別のファイルとして保存しなければならないわけで、面倒なのでそのまま最後まで一気に書いてる。
とりあえず今まで途中で落ちた事は無いけど、長いネタを書くときなどはテキストエディタで書いてからCGIに貼り付けたほうが良さそうだねぇ。
ま、とにかくこれからも続けますので皆さん宜しく。
2004年11月17日(水) 雑学更新
つぶやきネタとして書き始めたんだけど、書いてるうちにどんどん長くなってしまった。このままつぶやきの過去ログに流してしまうには惜しい内容になっちゃったんで、雑学ネタにしちゃいました。ストリート足のネタです。
2004年11月19日(金) ちとテスト
あーてすてす、ただいまcgiのテスト中ぅ〜っ
2004年11月19日(金) CGI
FireRoadsterのサイトそのものはAsahi-netのサーバに置いてある。しかし、Asahi-netの通常の契約ではCGIを使う事が出来ない。掲示板などのCGIは無料レンタルCGIを使っていたのだが、エロサイト宣伝書き込みが多くて面倒なので、CDS-Netのサーバを借りた。CDSはこちらが用意したCGIを自由に動かせる。で、掲示板をCDSのサーバに置いた。それ以来、エロ宣伝書き込みも無くなって快適。
せっかくCGIを自由に使えるサーバを借りたので、つぶやきもCGIで更新できるようにリニューアルしたわけ。CDSのサーバは速いし、安定してるし、CGIは自由に使えるし、とても快適だ。Asahi-netにも満足してるけどね。
で、先ほどのCGIテスト書き込みはナニかというと、つぶやきのページにアクセス解析CGIを新たに仕込んだのである。実は先日トップページにもアクセス解析を仕込んだ。トップページのアクセス数は 3700〜4200/日 くらいだった。
そういえば、先日、CDS-Netから電話があった。料金引き落とし用のカード有効期限についての話だったのだが、カードの件の話が終わると...
「ところで...大丈夫でしたか?」
と聞かれた。 は? ナニが?(^^; と、思ったら、中越地震の被害を心配してくれての話だった。 おぉ、ウチの中はグチャグチャになりましたが、大丈夫ですぜ。などと地震直後の状況などを話してみたりとか(^^; ご心配ありがとうございました>CDS-Netの某氏
そうそう、スカイパーフェクTVは中越地震お見舞いで先月分の視聴料をタダにしてくれました。ありがたい事で。DDI-Pもタダにならないかなぁ?(笑)
2004年11月22日(月) 続EOS-10D
サービスセンタ送りにしたEOS-10D、丁度1週間くらいで帰ってきた。大変込み合ってるので10日ほどかかりますと言われたのだが、往復の運送時間も含めて1週間ほどで帰ってきたので、十分に高速だと思う。サービスセンタの電話受け付けおねいさんの知識レベルや対応も素晴らしく、私が今までに経験したサポート系電話の中では最高レベルだった。
で、帰ってきた修理伝票には、依頼内容とそれに対応した修理内容が明記されており、素晴らしく解りやすい。過去にEOS-1やEOS-RTなどのCanon製品を修理した時は、近所のカメラ屋経由で修理に出していたのだが、それよりも直接サービスセンタに送った方が良いみたいだなぁ。
私が高圧エアでキズを付けてしまったフォーカシングスクリーンだが、新品に交換して頂いた。この部品代もなぜか無料だった。「新潟県長岡市」という住所に同情してくれたのだろうか?(笑)
あ、そういえば、DDI-Pも通信料を無料にしてくれるそうで。ありがたいお話。ちなみにアウとDDI-Pは中越地震被災者への料金減免が有るようだが、DoCoMoや棒堕フォンはナニも無いようで...。
10年前、サービスエリアとかローミングなどの問題でDoCoMoを選んだわけだが、昔からDoCoMoの対応は好きになれないわけで、ナンバポータビリティが実現したらアウに乗り換えたいなと思うわけです。ナンバーポータビリティ実現を心待ちにしてますぞ。
2004年11月22日(月) 洗車
ロドスタを洗った。筑波前のナラシで走りまくったとき、ボディの下半分に強力なピッチが大量に付いてしまった。鉄粉系の汚れも有るようだ。新舗装路を走った時だろうか? これが洗車だけでは落ちなくて、筑波決戦直前に洗車した時に鉄粉やらピッチなどでザラザラのボディを実感。Fire号が過去にここまで酷く汚れた事は無い。
で、本日、トラップ粘土で丁寧に鉄粉とピッチを落とした。Sタイヤのカスが当たった黒い跡も綺麗に落ちた。ちなみに鉄粉落としなどの作業は、新車で買って14年目にして初めてだ。今まではその必要が無いくらい綺麗だったのだが、ナラシで走った路面は過去に例を見ないほど酷かったって事?
せっかく丁寧にトラップ粘土まで使って綺麗にしたんだし、シーズンオフ中に徹底的にボディを綺麗にしちゃおうかなぁ。超微粒子コンパウンドで磨いて、太陽コートをやっちまおうか? ちなみに銀プレッサバンでの実験で太陽コートは本当に素晴らしい効果を示している。太陽コートの上から超弾くスプレーなどの撥水系スプレーや撥水シャンプーを使ってるのだが、これが素晴らしい。本当にキズが付かないし汚れも付かない。00年12月に太陽コートを掛けて、2回目は確か01年8月か02年8月に掛けたハズ....すると2〜3年経過して2〜3回冬を越してる計算になる。それでも艶も有るし洗車キズはほとんど付いてないし、本当に綺麗なままだ。これはスゴいぞ。
最初の1年は、太陽コートのみであとは普通に水洗いするだけだった。これだと親水性で水を弾かない状態になる。汚れは付きにくいし落ちやすいが、付かないわけじゃないし、落ちない汚れも少しずつたまる。
そこで、太陽コートを再塗布した後は超弾くスプレーや撥水シャンプーなどの撥水系ケミカルを併用した。これが大成功。汚れはほとんど付かないし、簡単に落ちる。僅かに残った水垢も水垢落としシャンプーなどで簡単に落ちる。が、この方法で太陽コートの皮膜がちゃんと残ってるのかどうかが解らない。しかし、洗車キズの付き難さ、艶の持続、などを見ていると太陽コート効果は残ってるような気がする。
太陽コート、ロドスタにも使ってみようかなぁ。
2004年11月23日(火) 1ヶ月
震災から1ヶ月経った。やっと1ヶ月、まだ1ヶ月、もう1ヶ月、なんだか良く解らない。
あの日の帰りに通った道と同じ道を毎日帰りに通っている。あの日、国道のギャップでジャンプした瞬間、「大変な事になってる」と感じた。道路が変形していた。中央分離帯が落ちていた。道路に亀裂や段差が出来ていた。今、毎日同じ道を通っている。今でもギャップは激しい。うねりも激しい。車道は応急修理が施してあるが、中央分離帯や歩道の被害はそのままになっている。生々しい被害の跡が残る道、毎日、通る度に、ギャップを踏む度に、あの日の感触がフラッシュバックする。あの音がついさっきの事のようにフラッシュバックする。
大した被害を受けて無い私ですらこうなのだ。すぐに建物の外にダッシュ出来た私に比べたら、動く事も出来ずに建物の中で激しい恐怖を感じた人の方が多いハズ。瞬間的に死を覚悟したと言う人も多い。数十万人が忘れる事の出来ない恐怖の記憶を抱えただろう。ペットのネコですら僅かな揺れに恐怖して騒ぎ出すようになってしまったらしい(ウチのガレージの隣のネコ)。 今日の午前2時過ぎにも余震が有った。全身がぞくっとする。いつになったら終わるんだろうか...。
今日は良く晴れた。夕焼けが綺麗だった。震災前の1週間、夕焼けがとても綺麗だった。今思えばアレはエアロゾルによる夕焼けだったのかもしれない。今日の夕焼けを見ながら震災前を思い出した。あれから1ヶ月経ったんだ。
震災による犠牲者のご冥福をお祈りします。
2004年11月24日(水) 重量
筑波仕様からストリート仕様にして車高を上げたロドスタ、トーがかなり狂った。測定してみるとINの6mmだ。これはマズいわけで、トー調整をやった。乗ってみると調整前との差が解るくらいだった。INの6mmはキョロキョロして乗りにくかった。 某工場の設備をお借りしてヘッドライトの光軸調整もやった。車高を変えたらヘッドライト光軸とトーの調整は必須だ。
ついでに車両重量も測定してみた。助手席付き、オーディオ付き、フロアマットやカーペット、トランク内張り、幌のカバーまで、普通に全部付いている状態だ。羽根は付いてないが(笑)。 燃料は約2/3くらいで、スペアタイヤは降ろした。この状態での重量は、フロント480Kg、リヤ450Kg、合計930Kgだった。燃料を半分以上積んで普通に走ってる状態の装備で930Kgなら十分に軽量と言えるだろう。これで180馬力だとパワーウェイトレシオは 5.17Kg/ps となり、280馬力で1500Kgのクルマに負けない数値となる。軽いって素晴らしい。
現状で何馬力出てるんでしょうねぇ? 180馬力くらいは出てると思うんだけどなぁ。
2004年11月27日(土) 続 重量
Fire号の重量を測った体重計でドノーマルの初期型NA6CEを測定するとどうなるんだろうか? Fire号はF480Kg R450Kgの計930Kgだったわけで、それは車検証やカタログデータよりも軽い。各部ボディ補強、前後の大型ブレーキ、大型デフ、ストロークアップ(笑)エンジン、など、かなり重いと予測してたのだが?
で、ノーマル初期型NA6CEを測ってみた。A/C P/S付きのSPパッケージだ。一番良くある普通のNA6でマフラを交換してある以外は足回りもノーマルだし補強も一切無い。こいつの重量は F500Kg R450Kg 計950Kgだった。
やっぱしFire号って軽いのね(^^) しかし、茶太郎のような軽量車だと900Kg以下なので、それに比べれば重いんだけど。
体重測定って面白いぞ。
2004年11月29日(月) 北海道で地震?
今朝3時過ぎに北海道で震度5強の地震が有ったようですね。 ニュースを見ると大した被害は出てないみたいだけど、震度5っていうとけっこうビックリするくらい揺れるハズ。つか、身の危険を感じるくらい揺れます。 地震対策などの感心が高まってる時期だけにかなりビックリしたのではないだろうか?
ちなみに震度階級は以下のようになっている。川口町は震度7で壊滅、長岡市は震度6弱で大きな被害。長岡の東側は局所的に震度6強に達してたと思われる。
画像は気象庁のサイトのモノ
皆さんもヒトゴトだと思わずに、震度6クラスの地震がいつ来ても良いように対策しましょう。
2004年11月29日(月) APS用レンズ
EOS-10Dを1年前に買った。 この時は随分悩んだ。ナニに悩んだかって? それは「買い時」か、それとも「待ち」か、である。痛烈な勢いで進化するデジタル1眼レフ、ナニをいつ買ってもすぐに型遅れになるのは仕方ない。そんな意味ではなく、APSのまま発展するのか、フルサイズへ向かうのか? である。
NikonはAPSでほぼ決まりだろう。上位機種もAPSで、APSに合わせた専用レンズをラインナップしている。CanonはEOS-1Dsはフルサイズ、1Dは1.3倍、D30〜10Dまでは3代に渡ってAPSだ。画質の1Ds、速度の1D、普及期の10D、明白にセンササイズを変えている。Canonは35mmフォーマットに拘っているようで、センサコストが下がってくればいずれ全機種がフルサイズへ向かうと私は読んでいるのだが、普及機までフルサイズになるには相当の時間がかかるかもしれない。
で、私は別にフルサイズに拘っているわけではない。APSでもそれに合わせた使いやすいレンズが有ればソレで良いと思う。Nikonはまさにコレだ。ところが、CanonはAPSで「使える」レンズが無い。唯一17-40mmF4Lが使えるが、あまりにも高価だ。私の手持ちの28-135や28-80では標準レンズにならない。20-35でとりあえずガマンする事にして10Dを買ってしまったのが1年前。近いうちにCanonもAPSで使いやすいレンズを出すだろうと読んで、それまでは20-35でガマンしよう。
と、思った。が、読みは外れた。いや、Canonも出してくれたんだよ、ステキなAPS用レンズをね。EF-S 17-85mmF3.5-5.6IS だ。手ブレ補正付きの5倍ズームでフルサイズ換算28-135mm相当の画角という文句の付けようもない素晴らしいレンズだ。これが有れば20-35と28-135と28-80の3本を全部売り飛ばしても良い。つか、売り飛ばせば新レンズを買ってまだお釣りが来るくらいだっ! 素晴らしいぞっ!
......が、このレンズ、EF-Sレンズと言いまして、EFレンズとは違って10Dには付かないんですわ(ioi) つか、EOS-1にも付きません。KISS-Dと新型の20D専用レンズなんです。あうあうあうあうあう...ナニもフォーカスバックを短くしなくても似たようなレンズは設計できるでしょうに...。もともとEFマウントは他社よりフォーカスバック短いんだしさ。NikonだってAPS用レンズを普通に作ってるし、シグマだってタムロンだって普通にEFマウント用に作ってるのに、Canonの技術力でソレが出来ないわけがないでしょうに! あー、ムカつくぞ>Canon
レンズメーカ製のレンズには魅力的なレンズが沢山有る。社外レンズを使うのは大嫌いな私も思わず欲しくなっちまうようなスペックのレンズいっぱい。18-125とか18-50mmF2.8とか素晴らしいじゃないか。シグマ18-50mmF2.8なんか画質もEF17-40mmF4Lにも負けないほど素晴らしいとは驚きだ。
でもやっぱし私は社外レンズって使いたくないんだよね(笑) 今後のCanonに期待しましょう。
2004年11月30日(火) ブレーキパッド
銀プレッサバンのブレーキパッドが無くなった。ウェアセンサが擦っててきーきー煩い。あー、うるさい。フロントパッドが無い、リヤパッドも無い。前後パッド交換かぁ...。で、純正パッドの価格を調べてブッ飛んだ。F 10600円、 R 9900円、合計 20500円@税別 !!!!
う゛お゛ーっ、高いっっ! いくらなんでも高いぞっ! (ioi)
銀プレッサバンのブレーキは効かない。どかーんと踏んで効かせるタイプだ。まさにNA6の初期型のよう。が、いくらなんでも効かない。もうちょい効いて欲しい。カックンブレーキになっても困るけど、適度な効きと適度なコントロール性が欲しい。純正パッドにするか、スポーツパッドにするか、考えていたのだが、純正の価格があまりにも高いのでスポーツパッドでも良いかなと思った。
んで、RS FACTORY STAGEのS500だ。実はこのパッド、開発テスト段階で私もテストに参加している。ペダルタッチ、コントロール性、前後ブレーキバランス、効き具合、などいろいろと意見して開発にフィードバックされたハズ。このパッドは前後セットで買っても13500円と低価格ながらも高性能でナイスなパッドだ。今年の筑波決戦で6秒台を記録したあきやま号もこのパッドを使っている(500度クラスのパッドで6秒台を出す変態はそう多くはいないと思うが(笑) ちなみにFire号のパッドは700度クラスだ)。このS500パッドと同じ材質で銀プレッサバン用をワンオフで作ってもらった。これがなかなか素晴らしい。効きはノーマルよりかなり効くし、ペダルタッチやフィールも良い。今までは焼いてもフロントだけ焼けてリヤが全然効いてなかったのだが、このパッドでは前後ロータが同じ色に焼けていく。前後バランスも素晴らしい。ちなみに価格は純正パッドよりも遥かに安かった。
ロドスタ用はすでに市販されて好評だが、インプレッサ用も要望が有れば製作可能だとの事。欲しい人は問い合わせてみては如何だろうか? 純正よりも安いスポーツパッド、これはナイスでしょ。
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