つぶやき...

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2004年10月5日(火) 筑波決戦2004!

今年もこの時期がやってきました。筑波決戦まであと1週間です。

10月15日金曜日
ドライバーズミーティング: Aパドック 6:40〜
走行時間
1回目 8:00〜8:20
2回目 9:00〜9:20
3回目 10:00〜10:20

です。参加者はおそらく6時頃から集まってるモノと思われます。見学歓迎。写真撮影、ビデオ撮影、歓迎。

今週末は参加者それぞれが最終セッティングに励む事だろうと思います。みんなそれぞれ水面下で決戦対策をやってるんだろうな。まだエンジン組立て中なヤツもいるし(笑)。

ちなみに今回の私のエンジンの詳細は当日まで黙ってようと思ってたんだけど、入院騒ぎでどっちみち完璧なクルマに仕上げる時間は無くなってしまったので、トップクラスのタイム争いは無理。なので、画像を小出しにしてなんとなく仕様をバラしてネタ提供してました(笑)。

ちなみに今回のエントリーリストを見ると、26台中すでに10秒を切っているヒトが16人もいました。シロート仲間が集まって開催されるロドスタの走行会としては異常なハイレベルと言えましょう。筑波決戦ではマシンのレベル、ドライバのレベル、そしてコースの熟知度、すべてがハイレベルになければトップタイムは狙えないでしょう。初期の頃は11秒でトップタイムだったのに、今では6秒台か...(^^;;;;








2004年10月6日(水) もうすぐ4週間

倒れて入院してからもうすぐ4週間。当初は2〜3週間の入院と言われていたので、つい最近まで入院してた可能性も有ったわけだ。実際には1週間で退院、その後1週間ちょいの自宅療養&リハビリを経て社会復帰となった。

その社会復帰からすでに10日ほど経過した。先週、検査の為に病院に行った。血液検査の結果、ヘモグロビン値はメーカ基準値から3割引きってところか。それでも倒れた直後に比べればかなり回復し、メーカ基準値に収まるのもそう遠くはないと思われる。 血圧計まで買って毎日計測している血圧は、退院時に90前後だったモノが社会復帰時で100前後、現在は110前後まで復活している。これもメーカ基準値まであと一歩。 2Kgほど痩せた体重は1Kgほど戻したが、まだ元の体重には戻っていない。ま、筑波決戦的には軽い方が良いんだけど。

ちなみに私の体重はABITより35Kgくらい軽いカモしれない(笑)。燃料満タン分くらいの差だな!



2004年10月9日(土) 筑波仕様化

筑波決戦を前にして今日は最後の休みだ。つまり今日すべての作業を終わらせて筑波仕様を完成させなければならない。とはいえ、入院騒ぎでエンジンがやっと完成したわけで、完全な筑波仕様を作っているヒマは無い...。

とりあえず最優先のエンジンセッティング。朝からバルタイをいじってはテスト走行とROMセッティングを繰り返す。トルク面積と高回転のノビとアイドル安定性のバランスを考えながら、結局は通常よりも遅れ気味(IN側ね)のバルタイを採用した。もう少し早めると中速域が抜群に良くなるのだが、アイドルと高回転がイマイチになる。バルタイが決まったところでROMセッティングを煮詰める。適度に出来上がったROMをベースに、少しずつマージンを大きくしたROMを3個作成し、ROMチェンジャに4つ並べる。サーキットで油温が上がって万が一ノッキングが出たらマージンを増やしたROMに切り替えるのだ。

続いて、ブレーキブースタ配管の修正、ノーマルブレーキパッドをサーキットスペックのモノに交換、エンジンオイルとオイルエレメントの交換、各部の最終チェック...。予想外に時間が余ったな...。

というわけで、やらない予定だった足回り分解をやる事にした。実はリヤダンパ下側を止めているネジがナメてしまっていて、ダンパを外すのが非常に困難なのだ。なので、今回は時間も無いしストリート仕様のスプリングのままで筑波に行こうと思っていた。しかし、なんとなく時間が有る。やっちまおう。 ナメたネジをなんとか取り外し、サスアーム側のナットを取り外してタガネでブラケットを切る。新品のナットを入れて巧く固定出来るようだ。これさえ巧く行けば後は簡単。

14Kと12Kと10Kと8Kのバネを並べてどれを組もうか考える。普通に考えたら12K-10Kなのだが、14K-12Kで組んでみたいという衝動に襲われる(^^; しかし、何の実績も無いし一発勝負で筑波に挑むのもアレだし...。しばらく悩んだが12K-10Kで普通に組む事にした。去年は手抜きしてバンプラバを入れたまま走って失敗したので、今年はバンプラバを外し、ロッド長スペーサも外して最大ストロークを確保出来るように組む。 去年はフロントが車高が高すぎてドアンダーが出たし、リヤバンプラバが当たってインリフトして前に進まなかった。今年は去年のデータを参考にその対策をしたつもり。しかし、去年のドアンダーは去年作ったリヤウイングのガーニーフラップが効き過ぎてたのではないかとの不安も...(^^;

さて、これでクルマ本体の筑波仕様化はほとんど終わった。あとはリヤウイングを付けて助手席を外せば筑波仕様が完成。

が、非常に重要な問題が残っている。タイヤが無いのだ...(^^;;;;; 3年前の540Sで走る事になりそうな予感。


2004年10月10日(日) 電球

昨日、筑波仕様化するついでに関係無い作業もちょっとだけやった。ナイトランに備えてヘッドライトバルブを交換。H4 60/80Wのクリアバルブだ。通常ならロービーム側は55Wなわけで、これはロービーム側が80Wなので、55Wに比べると45%ほど消費電力が大きい本当のハイワッテージバルブだ。

最近のバルブは60/55Wのくせに 「130/110W並の明るさを実現(当社比)」 みたいな好き勝手で解りにくいモノが多い。高効率化で昔の同消費電力のモノに比べて明るいのかもしれないが、それなら同じ技術で本当に消費電力がデカいバルブを作ってもらいたいと思うのだ。なんだかんだ言っても本当に消費電力が大きい本物のハイワッテージバルブに適わない事はこちらで証明済みだ。

そしてこの60/80Wバルブなのだが、2個セットで2000円(@ホームセンタムサシ)という激安品。実はすでに銀プレッサバンに導入済み。ライトが異常に暗い銀プレッサバン、このバルブを導入してから暗いとは感じなくなった。隣に並んだクルマに負けないし、後ろに付いたクルマのライトで自分の影が目の前に出来る事も無くなった。明確な違いが解るくらいに明るいのだ。「○○W並の明るさ」と謡う55Wバルブとは比較にならない本物の明るさ。これは使える。

そんなわけで、ロドスタにも導入してみた。しかし、ロドスタに使っているスタンレイのレンズが優れたレンズカットで元々かなり明るい。高性能バルブを入れる必要も無いのだが、80Wバルブを入れてみたらやっぱし明るい。あー素晴らしい。

ついでに13年間交換した事が無かったフロントクリアランスランプのバルブも交換する。スタンレイの明るいタイプのウェッジ球にしてみる。右だけ交換して左と比べてみると強力に明るいし色が白くて綺麗だ。左も交換...が、ソケットをひねった瞬間にソケットが粉々に砕け散った(^^;;; 13年分の劣化が進んでプラスチックが硬化してるんだなぁ...っと実感。

見えない部分で13年分の老化が進んでるんだねぇ。


2004年10月13日(水) 筑波決戦2004!

ふう...書き上げました。筑波決戦直前情報。ギャラリーの皆さんも楽しめるようにちょっと早めにアップします。参加者同士の水面下での戦いをちょっとだけ紹介します。コレを頭に入れて当日の各参加者のクルマをチェックしてもらえると楽しめるかと思います。ではご覧下さい↓

筑波決戦2004直前情報


2004年10月14日(木) 筑波サーキットより

筑波サーキットに来てます。ゲート正面のモナークといういつもの宿泊施設。が、誰もいません。オレ一人。店のヒトもいない(笑)。勝手に上がり込んでます。これぞいつものモナークスタイル。相変わらずだ。

こちら筑波の様子はと言うと、天候は曇り時々小雨、気温は低め、路面はドライ、明日は早朝から晴れの予報! うひょー。

さて、フロでも入るか。


2004年10月16日(土) 筑波決戦

笑細情報を書いてます。が、今日明日と仕事なのでゆっくり書いてるヒマが有りません。ちょっとずつ書いてますので今しばらくお待ちください。


Canon EOS-10D / EF20-35mmF3.5-4.5 / F4.5 AE


2004年10月17日(日) 筑波決戦笑細

ふぅ〜っ、書き上げました。筑波決戦2004笑細情報です。画像が多いのでナローバンドなヒトにはかなり重いかと(^^;。 低速回線なヒトは覚悟して気永にお待ち下さい(^^;;;

それではこちらにどうぞ。


2004年10月20日(水) それぞれの筑波決戦

筑波決戦各参加者のサイトにそれぞれレポートや動画が載ってますのでちょいと紹介。

あきやま氏のサイトの日記コーナに動画が載ってます。Fire号がヘロヘロに滑ってたりブレーキロックでタイヤスモーク上げてたり。友人T号のニトロパワーはターボ車もブッチ切ってます。1コーナで対向車になったFire号の写真も有り。

大市民氏のサイトの「サーキット記録」に今回の決戦レポートが載ってます。「筑波決戦予告編」には動画有り。ここでもヘロヘロに乱れるFire号が...(^^;

友人Tのサイトのトップページに「10月15日とNOSシステムの話」が出てます。あと、Diaryでレポートしてますね。

あ、そうそう、各地で「報道規制」とか言われてましたが、私が規制したわけではありませんよぉ〜(^^;; みんながウチで結果が報道されるのを待っててくれただけです。それはそれでかなりのプレッシャーだったりして(笑)。


2004年10月20日(水) 筑波仕様からストリート仕様に

筑波仕様のロドスタを元に戻す作業を始めた。載せたままになっていた荷物や景品を降ろし、ウイングを外し、助手席を付けた。

そうそう、筑波走行中から下回りでガラガラと何かが共振するような音が響いていた。それは徐々に大きくなり、帰り道では排気漏れが始まり、最後には爆音排気漏れに発展してた(^^;
自作エキマニの溶接部分にクラックが入ったのか? と、思っていたのだが、どうも触媒付近から音が出ているようだ。触媒が爆発して触媒本体にクラックが入ったか? やっぱサーキットでは触媒は外すべきだったのか?

この排気漏れの原因を確認してみたら、エキマニと触媒の間のガスケットが吹き抜けていた。実は純正のメタル系ガスケットが無かったので、手元に有った紙系のガスケットを使用したのだ。エキマニと触媒の間って一番熱くなるし圧力も上がるハズ。紙系ガスケットが耐え切れずに吹き抜け、隙間が開いて排気漏れ爆音&ネジが緩んでガラガラと遊んでいたらしい。ガスケットを交換して修理完了。

あとは足をストリート仕様に戻したいのだが、ナニをどう組もうか考慮中。ASAに10-8のバネを組むか、8-6のバネにするか、KONI-GPに6-5.5で組むか、GPを使うならアッパマウントにナニを使うか、いろいろと考えている。うーむ、どうしようかなー。


2004年10月21日(木) ストリート足

何年も前からストリート足の究極を探し続けている。KONI-GP+5K-4Kくらいの足が良いと考えていた。実際、ASAを導入するまではKONI-GPに6K-5.5Kのバネを組んでいた。しかし、この仕様だとバネはガラガラに遊ぶ。バネの自由長に対してロッドが長過ぎるのだ。出来ればショートストローク化してバネの遊びをゼロ付近にしたい。いやいや、それよりもブルブルと振動するアッパマウントを何とかしなければならない。

アッパマウントリジット化の手段としてNBアッパを導入するとしよう。NOPROのキットを買うと23000円くらいだ。けっこ高い。これにKONI-GPが80000円くらい。スプリングが40000円くらいと仮定すると、ここまでの合計で143000円だ。これにNBブーツとNBバンプラバが約10000円くらい。あー、全部で15万円超えになっちゃった。しかし、この仕様で車高を高めに設定すればかなり良い仕様になると思うのだ。この仕様でもダンパのケース長はノーマルと同等なので、底突きを避けるには車高はどうしても高めにせざるを得ない。最低でもタイヤ(タイヤサイズは標準外径として)とフェンダの隙間で指3本分くらいは確保したい。それ以下では底突きしまくるのは間違い無い。

ASAはもちろん良い。筑波決戦でベストタイムを狙える足だ。それでいて街乗りも苦にならないしなやかさを兼ね備える。12Kや13Kのバネを組んでもCDは飛ばないしフルバケットシートでの長距離ツーリングもまったく苦にならない。しかし、サーキットを走らないならオーバスペックとも言える。峠だけならもっと柔らかいバネの方がスムーズだし穏やかだし楽しいハズ。もちろん街乗りの快適性も柔らかいバネの方が快適だろう。

以前、KONI-GPに3K程度のバネを組み合わせてツーリング仕様にした事がある。だがこの仕様は試運転だけで終わってしまった。あまりにも快適すぎたのである(笑)。スポーツカーとしての刺激に欠けた。カローラじゃないんだから、有る程度の硬さや突き上げ感はスポーツカーにとって心地良いものであり、必要なモノだと思ったのだ。なにしろそのソフト仕様のロドスタから銀プレッサバンに乗り換えたら銀プレッサバンの方が遥かにスポーティに感じたほどだ。私は別にソフトで快適なクルマに乗りたくてロドスタに乗るわけではない。スポーツカーに乗りたくてロドスタに乗るのだ。適度な硬さは心地良いモノであって不快なモノではないのだ。

その後、結局6K-5.5Kのバネに戻し、これ以上柔らかいバネはロドスタに必要無しと勝手に決めた(笑)。だが、サーキットを走る機会が増えるに従ってこのバネでは力不足となり、車高を下げても底突きしないショートケースと直巻きバネ車高調の必要性を感じ、ついにASAの設計開発に至ったわけである。

このASA足の素晴らしさはすでに多くのヒトが体験していると思うが、本当にストリート重視なら別の設計が必要になる。8K-6Kや6K-5Kくらいのバネに合わせてロッドを長めにし、そのロッド長を実現できるケース長を決め、最大のストロークを実現出来るピンポイントの設計をやってみたい。もちろんバネレートと目的に合わせた最適な減衰力に設定しなおす。あー、やってみたい。

しかし、ストリート足で20万円越えってのもアレだし、やっぱし現実問題としてはKONI-GPベースにするのが妥当だろう。そんなわけで、ピンポイントのバネレートと車高で設計したのがSTAGEのチョコバナナだ。もうひとつ、同じコンセプトで作られているのが堂堕自動車のKONI-Streetだ。どちらも高めの車高と柔らかめのバネにKONI-GPとリジットアッパマウントを組み合わせてあり、狙ったモノは期せずしてまったく同じモノとなっている(笑)。私が考えていたストリート足の理想に近い組み合わせだ。 どちらにしても15万円くらいするわけで、絶対的な価格はストリート仕様の足としては高いと感じる。でも複筒式のKONIならではのしなやかで腰が強い特性に、適度な硬さのバネ、適度な車高、リジットアッパ、の組み回せはストリート&峠でのベストな選択と私は考える。

この両社のキットだが、このキットに向かって「もうちょっと車高を下げたい」と言うのは間違いだ。ノーマル形状のダンパで車高を下げてはいけないのだ。それはKONI-GPだろうがKYBだろうがTEINだろうが何だろうが同じ。ノーマル形状ダンパで指2本車高はフルタイム底突きになる。ノーマル形状ダンパで車高を下げているヒトは、底突きしないマトモな車高のマトモな足に乗ってみるとその素晴らしさに感動するに違いない。

さて、ハナシが長くなったが、要するに今回、私の足をストリート仕様にするにあたって、ナニをどう組むか考えているのである(^^;;; ストリート用に組んだGPとサーキット用のASAをポンポンってアッセンブリ交換出来るようにしておきたいなと思った次第。どうせGPが余ってるんだしコレを生かさない手は無いよねぇ。


2004年10月22日(金) 北斗の拳

今、ウチの会社の休憩室に「北斗の拳」がいっぱい有る。20年前の漫画なわけだが、ソレを持って来た同僚Kは20年前の作品とは知らない。なぜなら同僚Kは20歳だから(笑)。 たぶんパチスロに影響されて古本屋で買って来たモノと思われる。 私はもちろん20年前にリアルタイムで読んでたわけで、やっぱし積み重なっている北斗の拳を読まずにはいられない。1巻の出だしは「199X年、世界は核戦争で...」と始まる。おぉ、20年前には遠い未来と思われていた199X年をとっくに通り越したんだね。

で、その北斗の拳を読み進むと、13巻が無い。14巻以降は有るのに13巻が無い。同僚Kよ、13巻を買って来いんかいっ!(笑) 皆に言われ、買う気満々で古本屋に向かった同僚Kは、北斗の拳1冊350円のプライスに驚愕し、あえなく撃沈。なぜそんなに高いんだ北斗の拳。パチスロで人気が上がったのか? ウタダが流行らせたのか?

あぁ、13巻が読みたいぞ。


2004年10月24日(日) 地震

激しかったです。今現在も余震が続いています。

私はとりあえず大丈夫。Air-H"で接続してこれを書いてますが、電気、ガス、水道は止まってます。避難所もライフラインが止まって機能してません。が、近所のスーパーでは青空市場が開かれ、食料や日常品を通常価格で販売してます。長蛇の列が出来てますが、秩序正しく行動している市民にちょっと感動。コンビニなども出来る限りの事をやってるようです。

私はと言うと、なぜかインプレッセバンに積んで有った20Lの水が大いに役に立ち、地震直後のコンビニで買った食料もいっぱいあり、LEDライトとバッテリも大量に用意、得意のアウトドア用品を活躍させ、銀プレッサバンの中で比較的快適な夜を過ごしました。朝には顔を洗ってメシを食って歯を磨くくらいの余裕も有ったりして(笑)。

長岡では震度6弱と発表されてますが、局所的にはもっと激しかったようです。地盤の沈下や隆起、地割れ、建物の倒壊、電柱の転倒、かなりの被害が出てます。道路も高架部分の変形や段差が激しくて通行止めになってたりとか。

ま、とりあえずオレは普通に生きてます。


2004年10月25日(月) 新潟県中越地震_1

10月23日 土曜日 午後18時前...普通に仕事をしていた。明日は休みだ。広島からやってくる友人と会う約束をしている。今日はさっさと帰ろう。そう思いながら残っている仕事を片付けようとしていた。

ごごごごごごごごごごご

ん? 地震か? まぁいいや、手が離せん。(と、思ったのは最初のP波だったらしい)
約2秒後....S波着弾。

ずごごごごごごごごごご

え゛?

どごごごごごごごごごご

おわっ、これはマズいっ!

がっしゃんどっしゃんどっかんがっしゃん
どがどがどがずごごごごご


う゛お゛ぉぉぉぉぉをををぉぉぉ〜っ!

激しい揺れの中、身の危険を感じ建物の外にダッシュ! 外に出ても立っていられず、しゃがみ込むと言うよりは両手両足を地面に付いて4本足動物のような体制がやっと。直感的に震度5は超えてると思った。同僚と建物の外でちょっと話していると、立て続けに強烈な余震が襲う。マジでヤバいのでは? さっさと帰ろう。 そう思って会社の中に入ると、絶え間なく余震が襲う。サーバが転んでUPSがアラームを発してる。PCはなぜか全部リブートされてログオン画面になってる。まぁ良い、さっさと帰ろう。

銀プレッサバンで国道17号線を走る。それほど問題が無かった会社周辺から、南に向かうにつれて道路の変形が激しくなってくる。路面はうねり、亀裂が走り、激しい段差で減速を強いられる。前方で1M近い段差が発生して通行止めとなり、国道を迂回する。激しく隆起したマンホール、うねる路面、倒れた電信柱、破裂した水道管の噴水、倒壊した家屋...これはマジでヤバいぞ。ウチのマンションはどうなってるんだろう?

真っ暗な町の中に非常電源で浮かび上がるセブンイレブンはガラスが粉々になり、どうみても買い物は出来そうも無い。が、2件目のセブンイレブンは非常電源ながらも普通に買い物が出来そうだ。フルブレーキングでバックして戻る。店内は暗い非常照明、商品は床一杯に散乱、それでも客は秩序正しく行動し、必要な物を必要なだけ買っていた。私は弁当とカップメンとお茶などを買う。レジの兄ちゃんと情報交換し、お互い励ましの言葉を交わして店を出る。

マンションに着いた。とりあえず形は有る。倒壊はしてない。が、マンションの隣の建物の壁が崩壊し、マンションの駐車場に瓦礫の山が出来ていた。マンションの駐車場にすでに車は無い。みな避難したのか?

マンションの部屋に入ると、あらゆる物が飛散&転倒or移動した激しい惨状を目にする。




2004年10月26日(火) 新潟県中越地震_2

天井に転倒防止の突っ張りを施してあった本棚が転倒し、漫画本が散乱、照明器具が落下して粉々。冷蔵庫や食器棚は転倒を免れているが、かなりの距離を移動している。 部屋の中の惨状は放って置くとして、とりあえずの作戦を考える。絶え間なく続く余震、マンションの3階だと地表面に比較して揺れの激しさは1.5倍増量補正されている感じだ。やはりこの部屋にいるのはあまりにも危険だ。広い駐車場に移動して車中避難する事に決定。暗闇の中、LEDライトを頼りにシュラフや毛布を用意して避難する。

外に出ると、近年稀に見るほどの美しい星空が広がっていた。プレアデス星団が肉眼でハッキリと見える。町中の明かりが完全に消え、光害が一切ない真っ暗な空に秋の快晴、本当に美しい星空だった。おもわず溜息が出た。

広いパチンコ屋の駐車場で倒れてくる物が一切無い場所に銀プレッサバンを停め、車載ナビのTVで情報収集する。駐車場には他にもクルマがいっぱい停まっており、車中避難を決め込んだヒトは多いようだ。停電時でも冷暖房や電源完備のクルマは最強の避難場所だ。TVでは各放送局が地震のニュースを伝えているが、伝わってくるのは長岡や小千谷から離れた周辺市町村の情報だけだ。家屋の倒壊など大きな被害が出ている長岡市の情報は伝わってこない。さっき買ったセブンイレブンの弁当を食いながらTVを見入る。徐々に報道陣が長岡や小千谷に近付いているようで、長岡市内での火災状況などを伝えている。空には大量のヘリが激しく飛びまくっているが、それが報道ヘリなのか防災ヘリなのか解らない。緊急車両のサイレンも絶え間無く街中に響く。

そんな緊張感の中、普通に暖かい弁当を食い、更に冷蔵庫から持ち出したチューハイまで飲んでいるオレ(笑)。必要にして十分な備えが有るが故の余裕。むはは。 お茶とチューハイで尿意を覚えたオレは車外に出る。事を済ます場所を求め、フェンスを乗り越えようとしたその時、目測を誤り足を滑らせた私は右半ケツをフェンスに強打。痛烈な痛みでケツが三分割に。震災によるケガ人1名追加。

ケツの痛みをこらえ、ヘリの音と緊急車両の音が響き続ける中で眠りに就く。3シーズンダウンシュラフはエンジンを停止しても快適な暖かさを保ってくれた。激しい余震もサスペンションがある程度吸収してくれる。3階に比べれば体感震度は半分くらいだ。


2004年10月27日(水) 新潟県中部地震_3

夜明けとともに激しくなるヘリの音で目が覚める。雲一つ無い快晴だ。空には大量のヘリ、地上には大量の緊急車両がサイレンを鳴らしながら走り回っている。昨日買った弁当やパンで朝食を済ませ、なぜか銀プレッサバンに搭載してあった20L水タンクで顔を洗って歯も磨く。



今日の行動を考える。まずは当面の生活の為に必要な水の確保だ。ポリタンクを買いにホームセンタに行ってみるが、ホームセンタは休業だった。近所の避難所には老人や子供でいっぱいだが、水も電力もガスも無く、トイレの水も流れない。食料も無い。給水車が来るハズだが、いつ来るか解らないと言う。避難所として機能してるとは言えない。

近所のスーパーに行ってみると、青空市場になっていた。店内は損傷が激しく、外から見えるだけでも剥がれ落ちた天井などの様子が見える。それでも食料や飲料、日常生活用品などを店頭に並べて販売している。レジが機能しない為、全品100円で販売しているようだ。市民は先を争う事も無く、秩序正しく1列に並んで100M以上の列を作っていた。ちなみに真っ先に売れて行くのはカップラーメン、水やお茶、そして乾電池のようだ。



水タンクが手に入らなかったので、ガレージに行く事にする。ガレージには水タンク40L分が置いてある。だが、ガレージまでたどり着けるのか、道路状況がまったく解らない。しかし、ガレージまで行けばマンションに置いてある以上のアウトドア用品やサバイバル用品が手に入る。やはりガレージまで行かねばなるまい。

ウチのマンションから僅かな距離でも、かなり大きな被害が出ている地域と何事も無い地域が有る。


倒れかかった電柱と、電柱からブラ下がるトランス。トランスからはオイルが漏れている。これでは停電するのは当たり前。工事車両は破裂した水道管の修理中。昨日の晩に私が目撃した水道管破裂噴水現場だ。


どの地域でも言えるのだが、アスファルト部分や土の部分が沈み込み、コンクリート部分がそのまま残っている感じになる。地下にコンクリートの土管などが有るとその部分が隆起したように見える。道路は凸凹で激しい。

長岡では正式に発表された震度は6弱らしいが、局所的にはそれを大きく上回っているようだ。最初の本震で長岡の地震計が振り切って壊れてしまったせいも有り、正確な震度ではないような気がする。地盤の弱い地域では本当に激しい被害が出ている。

そんな凸凹の道路を走り、ガレージに向かう。ガレージの周辺でも倒壊家屋や破損家屋が目に付き、道路の変形も激しい。ガレージの中はどうなっているんだろうか? 筑波仕様からストリート仕様に戻す為にウマの上に乗って離陸しているハズのロドスタは...? 積んであるタイヤは? KDXは? MTBは? 吊り下げてあるエキマニやマフラは? どうなっているのか...。祈るような気持ちとあきらめの気持ちでシャッターを開ける...。




2004年10月29日(金) 新潟県中部地震_4

ガレージのシャッターを開ける...


を? とりあえずナナメになってたり落ちてるような事は無い。だがウマをかけてるステップの部分が曲がったりズレたりしてるカモ? おそるおそる覗きこんで見ると、意外な事に1mmもズレてないしキズ一つ付いてない!!! だが、ウマがコンクリートの上で揺さぶられた跡はクッキリ残っていて、コンクリート面にウマがメリ込んでいた。奇跡的だ。積んであった銀プレッサバンのスノータイヤとロドスタのラジアルタイヤもそのままだ。


KDXとMTBも転んでないし、棚の上のヘルメットなどもそのまま。


スチールラックの上に載ってるモノもほとんどそのままだ。スチールラックそのものはワイヤで柱に固定してあるので耐震設置になっているのだが、棚に積んであるモノが落ちてないのは奇跡的だ。


天井に吊ってあるパーツもそのままだった。もっとも、これらのパーツはちゃんとワイヤーで固定してあったのだが。


地震の跡を感じさせたのはコレ。タンスの引出しが全部飛び出していた。この他には超ロング缶のパーツクリーナ3個が転倒し、フェンダカバーが落下、KDXの上の干してあったスペアの幌が落下、その他、小さなモノが何個か転んだ程度。

なぜこれほど被害が少なかったかと言うと、もともと私は地震対策を考えてあったからである。バイクやMTBは例え転んでもロドスタにぶつからない位置に置き、スチールラックなどはワイヤリングで固定、パーツ類もヤバそうなモノはすべてワイヤーで固定。壁の棚などは万が一モノが落ちてもロドスタに命中しない位置に設置してある。地震が来てもロドスタへの被害を最小に食い止めるように考えてあったのだ。むははははは! しかし、「落ちても良い」ように考えてあったとは言え、震度6クラスを3発喰らって「落ちなかった」のは奇跡的だ。 地震後のウチのマンションの状態を考えたら本当に奇跡的としか言いようが無い。拍子抜けするくらいに被害が皆無。あー良かった。

と言うわけで、ロドスタとガレージの被害は皆無。そうと解ったらあとは今後の為の行動だ。水タンク40L分、紙コップ、紙皿、ガソリンストーブ(コンロね)と燃料、ガスストーブ(コンロね)と燃料カートリッジ、ガスランタン、カセットコンロ用ガス、クッカーセット、などを銀プレッサバンに積み込む。灯油ストーブ(暖房用のヤツ)を持って行こうかとも思ったのだが、車中避難には必要無い事と、ウチのマンションは暖房が無くてもそれほど寒くない事などから必要無いと判断。万が一寒かったら取りに来よう。

続いて銀プレッサバンの燃料を補給したい。ところが、停電や地震による破損などで休業しているスタンドが多く、数少ない営業中のスタンドには長い行列が出来ている。とてもじゃないが待つ気にならないほどの行列だ。何件か回って割と空いているスタンドで無事に燃料を補給した。

震度3〜4クラスの余震は絶え間無く続いているが、もうそれほど大きな余震は来ないだろう。今夜はマンションの部屋に戻る事にする。ライフラインはすべて止まったままだが、前述の装備が有れば電気もガスも水道も要らない(笑)。


2004年10月30日(土) 新潟県中部地震_5

サバイバル用品と水60Lと燃料を満載してケツが下がった銀プレッサバンでマンションに戻る。


隣の部屋のドアには「震度6強3回」1面見出しの新聞が刺さったままだ。避難して不在なのだろう。しかし新聞の印刷や配達が正常に機能している事に驚く。床に散らばっているのは震災で割れた花瓶だ。

昼間の明るい部屋に入り、改めて被害の状況を見る。床に飛散した割れた食器のガラス、落下した照明器具の蛍光灯が割れて飛散しまくったガラス、床は裸足では歩けない。倒れた家具の下敷きになってスリッパが行方不明だ。便所スリッパで部屋の中を歩き、ガラスを片付ける。倒れた家具はあえてそのままに、散らばった本はテキトーに床に重ねて置いた。冷蔵庫や食器棚などは1メートルくらい移動しているが、元の位置に戻す。そんな作業をやっている間にも余震は絶え間無く続く。3階だと2ランクほど震度が上がったように感じる。建物全体から響く「ずどーん」と言う無気味な音と共に突き上げが襲う。

60Lの水を部屋に運び込み、本震直後のコンビニで買った食料も部屋に運び込む。部屋に有った食料も合わせてしばらくは乗り切れる。


レギュラーガソリンが使えて強力な火力が頼もしいガソリンストーブ(OPTIMUS 123R)を使い、20Lのお湯を沸かす。ナニをするかと言うと、蛇口付きのポリタンクでシャワーを浴びるのだ。頭も洗ってスッキリサッパリ。電気ガス水道が止まってても、備えが有ればシャワーを浴びる事は可能なのだ。

ガソリンストーブにレギュラーガソリンを補給し、ナベでお湯を沸かす。部屋に有ったパスタをボイルし、フライパンであおってペペロンチーノを作った。


ガスランタンとLEDライトで照明し、冷蔵庫に有ったワインとペペロンチーノで夕食だ。余震は絶え間無く続くが、今日はベッドで寝る事にする。震災翌日の夜が更けて行く...




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